弊社の所在地、兵庫県三木市は「金物のまち」として長い歴史を誇ります。
そして弊社の起源は、1900年、専業農家を営んでいた 神沢 寛 が、鋸刃の目立てを副業として始めたところまでさかのぼります。
その後、その息子 神沢 寛次 が、本格的に鋸製造の修行に励み、1953年に「神沢寛次製作所」を設立。1963年に法人化し、当時需要の大きかった「左官鏝」製造にも着手し、弊社の基盤を築きました。
そして1979年。その息子 神沢 邦幸 が社長に就任。これを機会に弊社の販売先の多くを海外へシフト。社名を「神沢精工株式会社」に改め、その飽くなき開発への情熱と、持ち前の経営手腕で業績を伸ばし、当時海外ではあまり知られていなかった、「日本式の引き切り鋸」の素晴らしさを、海外に広める事に尽力しました。
そして1999年。神沢 邦幸 の指揮のもと、輸出販売専用ブランド「SAMURAI」を立ち上げ、2000年には「曲刃鋸製造技術」で特許も取得。業績を更に伸ばし、弊社の海外での評価を確固たるものとしました。
そして2009年。「SAMURAI 鋸」の国内販売を開始。皆様のご愛顧を受け、現在にいたります。
国内販売を開始してから10年が過ぎ、2019年5月に「令和」の時代を迎えました。
これからも弊社一丸となって、先人の情熱を引き継ぎ、「より良い剪定鋸づくり」に励んで行く所存ですので、今後共ご愛顧の程、よろしくお願い致します。
(【SAMURAIは何故よく切れる?】へ)
そして弊社の起源は、1900年、専業農家を営んでいた 神沢 寛 が、鋸刃の目立てを副業として始めたところまでさかのぼります。
その後、その息子 神沢 寛次 が、本格的に鋸製造の修行に励み、1953年に「神沢寛次製作所」を設立。1963年に法人化し、当時需要の大きかった「左官鏝」製造にも着手し、弊社の基盤を築きました。
そして1979年。その息子 神沢 邦幸 が社長に就任。これを機会に弊社の販売先の多くを海外へシフト。社名を「神沢精工株式会社」に改め、その飽くなき開発への情熱と、持ち前の経営手腕で業績を伸ばし、当時海外ではあまり知られていなかった、「日本式の引き切り鋸」の素晴らしさを、海外に広める事に尽力しました。
そして1999年。神沢 邦幸 の指揮のもと、輸出販売専用ブランド「SAMURAI」を立ち上げ、2000年には「曲刃鋸製造技術」で特許も取得。業績を更に伸ばし、弊社の海外での評価を確固たるものとしました。
そして2009年。「SAMURAI 鋸」の国内販売を開始。皆様のご愛顧を受け、現在にいたります。
国内販売を開始してから10年が過ぎ、2019年5月に「令和」の時代を迎えました。
これからも弊社一丸となって、先人の情熱を引き継ぎ、「より良い剪定鋸づくり」に励んで行く所存ですので、今後共ご愛顧の程、よろしくお願い致します。
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